スマートフォン

スマホは現代人の免許証。

最近、そんな気持ちになったことが2回。

 

ひとつは、何かの申し込みをしようと思って相手先にコンタクトを取ったら、

QRコードを読み込んでもらって…」

 

「ああ、あの、僕、スマホを持ってないんです」

「そうですか、困りましたね」

 

QRコード以外の手段は?」

「ええと、そうなるとちょっと手間がかかるんですが…」

 

「そうですか」

「すみません、そういうシステムになっているもで…」

 

「いや、いいんですよ。それでは…」

是が非でも申し込む必要がある、といった類のものではなかったのでそれで済ませた。

 

もう一つは、アプリ会員。

アプリ会員になれと迫る店員がいるんだけれど。

 

会員になるととてもお得だと口説いてはくるものの。

「僕、スマホもってないから」

 

現代の生存権スマホとともにあるんだろうな、なんて思ってしまう。

ミニマリストを標榜する私としては、いろいろなガジェットを持ちたいくない。

 

でも、そうもいかなくなるのかな。

最新鋭の機器を身に纏い、未来に挑んでいく初老。

 

ステイホームなところへきて人付き合いもない。

外部とコンタクトを取ることが強く求められてはいない。

 

日中はラジオ、食事時にテレビでニュース。

朝食後と就寝前にネットをサーフ。

 

 

常に電子機器に晒された、デジタルな生活ってどんなもの?

自分も自分の日常も、加速に加速を重ねていくような気がしてしまう。

 

何かをするのに手間暇かけるアナログな時間は不要?。

異常な加速は、焦りや不安に通じやしないだろうか。

 

ぼんやりすることを「時間の無駄」と考える。

お得を求めていないと「損をしている」と考える。

 

便利になれば寄り道も遠回りも必要なくなる。

無駄や損失も減るだろう。

 

でも、寄り道や遠回りが教えてくれることもある、と思っていたい。

それに「知らないから幸せでいられる」ということもあるし。

 

 

暖かいなぁ!

この辺りは、今日、17度まで上がるって。

うれしい、心も体もウキウキ。

 

…庭に穴を掘って、そこに生ごみを入れている。

骨や貝殻など、朽ちない物を除いて。

 

鳥にとってはまだまだエサの少ない頃。

明け方、まずはスズメが来る。

 

次にヒヨドリが飛んで来て、スズメを追い払う。

ヒヨドリが食事していると、ツグミが飛んでくる。

 

ヒヨドリの頭をこついて自分が食事を始める。

すると、ムクドリがやってきて、ツグミを追い払おうとする。

 

わぁ、空中戦だ!

ムクドリは無事、エサにありつく。

 

鳥たちの戦いはまだ続く。

バサバサと烏が舞い降りると、小さい輩はもう逃げるしかない。

 

烏がくちばしでリンゴの皮や卵の殻をひっくり返していると…。

野良猫様の登場。

 

野菜や果物のクズに鼻をつけクンクン。

「肉や魚は無しか…」といった顔をして去っていく。

 

するとスズメがまた飛んで来て、と。

鳥たちも大変だな。

dejavu

白装束の女性議員。

テレビの画面に一杯。

 

#ME TOO の再来かと思ってしまった。

今回の目的は、森元首相の糾弾。

 

「辞めろ!」と言うのは簡単。

仮にそれで辞任したとして、その後はどうするつもりなんだろう?

 

誰かを推すつもりでいるのか?

候補者を立てて選挙でもするか、オリンピック開催日を間近にして。

 

シュプレヒコールを飛ばすのは簡単。

でも、事態を好転させるための代案を出さぬまま叫び続けられても…。

 

辞任を迫る勢いでものを申すのなら、それ相応の代案も出してほしいもの。

いつもそれを感じられないから、これまた「迫ってこない」。

 

もちろん、差別的・侮蔑的な発言は容認できるものではない。

そういう思いが心を過ぎっても、言葉や態度に表すものではないし、それが大人。

 

問題発言を糺すことには何ら異論はない。

ただ、糺すことが出口の見えない責めに転じることが怖い。

 

今回の問題の落としどころはどこだろう?

どうしたらいいのだろう?

 

 

荒唐無稽でも

SFといえば洗練された機械群。

サスペンスといえばサイコパス

ホラーといえば血が飛び散る。

 

そういう括りに収まらない映画が観たい。

けれど、なかなかない。

 

「透明人間」「電送人間」「ガス人間第1号」「美女と液体人間」「マタンゴ

どれも荒唐無稽。

 

1級の男優・女優を配し、真顔で演じさせる。

子供だましのお話を。

 

それでも…

登場する人物と映画の舞台が作り上げる雰囲気に飲み込まれて、ついつい観てしまう。

 

現実の世界で口にしたら嗤われてしまうことも、映画の中でなら問題はない。

自分もその場に遭遇しているかのような感情に駆られ引き込まれていく。

 

江戸川乱歩的な怪奇性が漂う世界。

(こんなこと書いていていいのかな?私の人間性が疑われたりはしないだろうか?

 

ただ「妖しい娯楽性」が好きなだけで。

僕は至って「正の走行性」タイプ…だと思う。)

 

「遊星からの物体X」は「うぇ~」なんて言いながら観てしまった。

地球のどこかに、宇宙から飛んできた生き物が眠っているかもしれない。

 

ザ・フライ」は「ひぇ~」なんて言いながら震えてしまった。

遺伝子に変な傷をつけるとハエになってしまうかもしれない。

 

荒唐無稽だけれど怖い。

怖がりの僕は、その荒唐無稽さに救われながらSFサスペンス・ホラーを好むのだろう。

迫ってこない!

菅首相の会見を見ていたけれど。

何というか、迫ってこない。

 

緊急事態を宣言しているんだよね?

「言えっていうから、言ってるんだよ」感が否めない。

 

ハリウッド映画に出てくる大統領のような感じは求めないけれど。

それでもだよ、緊急事態を宣言しているようには見えない。

 

淡々と語る口調は、官房長官時代の菅さんと何ら変わらない。

「一致団結してやろうぜ」的な雰囲気は、ない。

 

この種の問題は補償(お金)とセットになることが多いから。

できる限り穏便に済ませたい、という気持ちが出てしまうのかな。

 

国の指導的立場にある人たち(国会議員など)が、自発的に給与を返納するとか。

事の重大さを行動で示さなきゃ。国民は見ている。(期待するだけ無駄か)

 

10の補償も大切。

でも、ひとつの真摯な態度がすべてを変えることだってある。

 

興奮して、声を荒らげて、喚き散らして発言する必要はない。

ただ「本当にそう思って言っているんだよ」という感情が欲しいだけ。

 

そのような感情は、テレビ画面を通してだって伝わってくるはず。

ピリッとさせてくれるはず。

進んで明かりをつけましょう

「暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけましょう」

この言葉、今でもラジオで流れているのかな?

 

確かに、何でも進んでやればいいというものではない。

良かれと思ってしたことが、他人には大迷惑だったり。

 

「あいつにやらせておけばいいよ」と、何かと押し付けられたり。

「どうして周りは理解してくれないの?」などと悩んでみたり。

 

まぁ、何をどこまで進んでやるかは、人生経験が教えてくれるとして。

心で思っても、実際、行動に移せないこともあるし。

 

大切なのは、前向きに考え、前向きに行動しようとする「姿勢」かな?

どうしたら良くなるかな、うまくいくかな、と自問すること。

 

自問の結果、降参・撤退することもあるだろうけど。

ポジティブな思考の結果として、それはそれで許容して。

 

そんな frame of mind で、今年一年過ごしたい。

新たな一年。

 

…雪と言えば、明後日まで油断できないらしい。

要警戒。

 

雪掻き3回目の今日、腰が痛いよ。

ストレッチでもして横になろうっと。

 

「また今日もかぁ」と不平を言うよりも、

進んで雪を掻きましょう。

またまた寒気

前回の寒気が去り、積もった雪もやっと溶けたと思ったら。

今度の寒気は、前回を大幅に上回るらしい。

 

やめてぇ!

思わず叫んでしまう。

 

雪掻き、並みじゃないんだもの。

うう、腕と腰にくるぜ。

 

でも、相手は自然現象。

寄るな来るなと言って「はい、そうですか」とはならない。

 

移住を考えたこともあったけど。

それって、気力・体力・資本力・社交力が必要だし。

 

今となっては「知らぬ鬼より、知った鬼」。

現在の環境と折り合いをつけながら生きていくことが賢そう。

 

ここは腹をくくって、忍ぶしかない。

降雪が大事にならないことを祈りつつ。

 

ところで、「みうらじゅんのファンブック 第3回」聴きました?

僕はカセットテープに録りました。

 

(テープに録るなんて、なんて昭和⦅驚⦆)。

でも、そんな動作が僕にはしっくりとくる。)

 

さて、寝床に就いて、明かりを落として、目を閉じて。

ラジオの音を脳内で映像化しながら眠りましょう。

 

みなさん、brand-new な一年をお迎えください。

さらに一年、何かを一緒に積み上げましょうね。

真冬並みの寒気

それはそれは寒い。

骨身に凍みる。

 

「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」

「外は今日も雨、やがて雪になって…」

 

雪にロマンティックを感じるのは、30代まで。

いやぁ、還暦間近のオヂさんには堪える。

 

ロッジでクリスマスを待ってみたり、恋人がサンタクロースだったり。

あれは何だったんだろう?

 

夏に出合って、クリスマスに誓い合って。

バレンタインデーとホワイトデーで心を通い合わせ。

 

夏が来たら別れて、新たな出会いを探して。

恋はいつでも大騒ぎ。

 

今はこうして、パソコンの前であの頃のことを思い出してる。

あな、恥ずかしや。

 

時は流れて、「ああ、寒いな」「凍みる寒さだな」なんて情けない。

猫の寝姿を見て癒されている自分に驚く。

 

冬が来るたびに、齢を重ねていることを実感する。

でも、それでいいのだと思っていいる。

 

初老が20代の恋をしたとしたら?

あな、恐ろしや。

 

浦島太郎

以前から疑問だった。

作者は、なぜ太郎をお爺さんにしなければならなかったのか。

 

戻った世界で家族と再会しました。

玉手箱の中には宝物が入っていました。

 

そういった終わり方でもよかっただろうに。

だって、カメを助けるという動物愛護を実践したのだもの。

 

「見つめる鍋は沸かない」

速く、速くと急けば急くほど、沸かない。

 

その一方、鍋を火にかけて、少しの間の用事だったはずなのに…。

「ああ、噴いてる、噴いてる」

 

退屈しているときの時間は進まない。

熱中しているときの時間は、あっという間。

 

タイやヒラメの舞い踊りに、太郎は陶酔しただろう。

乙姫様は魅惑的だっただろう。

 

それまで経験したことのない耽溺的な生活。

時はあっという間に過ぎていった。

 

陸に戻り、かつての生活を取り戻せばどうなるかな?

ヒトの時間の中で再び生きることになる。

 

ヒトの時間は、ヒトの時間。

誰も同じ時間量の中で生きる。

 

玉手箱を開けたことで太郎は年老いた。

太郎は、ヒトとして帳尻を合わせることになった。

 

もし玉手箱を開けなかったら?

エイリアンとしてさ迷い歩き続けたかもしれない。

 

浜辺で泣く太郎を、カメが連れ戻しに来たかもしれない。

果ては、乙姫様と結婚してしまうかもしれない。

 

どのような時間の使い方をしてもヒトは年を取る。

「太郎はお爺さんになりましたとさ」とエンディングは寂しい。

 

自分のコミュニティーを失った太郎は可哀そうなのか。

一時でも華やかな世界に身を置いた太郎は幸せなのだろうか。

 

 

 

NHK

NHKのドキュメンタリーやドラマはクオリティーが高い。

それは結構なこと。

 

ただ、大みそか紅白歌合戦とか、必ず制作しなければならないのかな?

ラジオ深夜便のような深夜放送に、あそこまで注力しなければならないのかな?

 

NHK絡みのニュースで、私の目に飛び込んでくるものといえば、受信料を始めとする「お金」の話ばかり。

EテレNHK教育)を売却してしまえ、なんていう意見も飛び出す始末。

 

NHKが目指すものの一つには、国民の知的レベルの向上があるのでは?

国民が、世事に通じ、良識的・客観的に物事を判断できるような情報を提供すること。

 

そのためにお金が必要だというなら一考しましょう。

でも、そうではなさそうなことにお金、使っていないかな?

 

受信料を払っている人の大半が楽しめないような大掛かりな歌番組を作ってみたり。

大半の人が眠っているであろう時間に、凝った深夜放送を作ってみたり。

 

お金が足りないと言うのなら、コメディーとか歌番組とかは中止したら?

人件費を削減するために、深夜の放送は緊急時のみにしたら?

 

NHK、お金の使い方は今のままでいいのか?

突き抜けて

芦田愛菜は令和の吉永小百合か?

達観の仕方が似ているということらしいのだが。

 

僕個人としては「沢口靖子は平成の吉永小百合か?」の一文を加えたい。

彼女の振舞にも、達観の空気が漂っているように思える。

 

自分の世界を持ち、それを大切にすることは簡単ではないだろう。

そうであるがゆえに、他人を傷つけたり排除したりすることもあるから。

 

独り善がりであったり、日和見的であったりする印象を与えない。

最大公約数が、その魅力を支持する。

 

突き抜ければ、唯一無二のカッコよさが生まれる。

そんな生き方に憧れる。

 

突き抜けている、カッコいいといえばビートルズも。

(今、ラジオでビートルズ特集が流れている。)

 

ソロになってからのレノン&マッカートニーにもいい曲はあるんだけれど。

ビートルズ時代のレノン&マッカートニーには敵わないと思ってる。

 

ビートルズ後期のレノン&マッカートニーは基本クレジットのみで、多くがソロ曲だと聞いている。

 

それでも、この二人が同じグループにいたからこそ生まれた名曲たち。

中学生の頃に聞き始めて、何度も聞いて、そして今聞いても「新曲」。

 

レコーディング技術の日進月歩を考えれば、やはり、楽曲にパワーがあるんだ。

歌詞と曲の周辺にある要素の占める割合は小さいといえる。

 

自分に欠ける才能を持つ相手を目の前にすることで、俄然燃えてくる。

一緒に苦労した年月が長ければ、仲の悪さもカバーしてなお余りある。

 

自分に欠けるものを埋めてくれる存在は大きい。

耳が痛いことを言われても、それで助けられることもある。

 

自分と対峙する存在と、敬意をもって対話する。

時に、相手を意識して競いあう。

 

そこに突き抜けたカッコよさの影が見え隠れする。

全体に調和しながらも、決して埋没することがない。

 

Baby, you can drive my car

Yes, I'm gonna be a star

Baby you can drive my car

Baby, I love you

 

チョコレートパン

パンの間にバタークリーム。

溶かしたチョコレートをかけて、アーモンドクラッシュを散らして。

 

ブランドもメーカーも問わない。

形態も問わない。

 

値段は100円前後で。

トランス脂肪酸たっぷりでも構わない。

 

僕にとっては、少し値の張る「駄菓子」。

店先で見つけちゃうと、もう、ウキウキになる。

 

アーモンドクラッシュの代わりに、あの、ルビー色したジェリーの玉。

あれが挟んであるのもいい。

(だけど、あの玉の載ったパンそのものを最近見かけない。)

 

最も飾らないチョコレートパンは、コッペパンに切り込みを入れて。

クリームを流し込みチョコレート液をかけて、ジェリーの玉を載せたもの。

 

これを見かけると、食べたいという衝動と懐かしさが心中からこみあげてくる。

なんとも言えないなぁ。

 

最後の晩餐に何が食べたいと訊かれたら、きっとチョコレートパンを挙げる。

横長のテーブルの上に、コーラの隣に是非とも置いて欲しい。

 

この先、どこかで余裕があったら、北から南までチョコパン巡りをしてみたい。

製パン大手にはない味と見た目がきっとあるはず。

 

ついでに、即席袋めんツアーもいいかな。

となると、コッヘルとガスバーナーは必携だ。

 

食費はきっと安上がり。

楽しい旅になりそうだ。

小島君

近所に小島君という知人がいる。

とんとご無沙汰しているが。

 

小学生の頃、よく誘われた。

それほど仲が良かったわけではないけれど。

 

釣り友達だった。

僕はそれほど釣りが好きだったわけではないが「ねぇ、行こう」と言われると、つい。

 

自転車に乗って15分。

貯水池が、僕たちの目的地。

 

大したものが釣れるわけでもないのに、出かけていく。

で、不思議なのは、記憶の中の風景は、いつも秋。

 

曇りで、冷たい風吹く秋。

暖かい日の釣りの思い出がない。

 

原始的な釣り道具。

釣り針にミミズをつけて、池の中に放り込む。

 

手がかじかんでいるから、思うように指が動かない。

「あぁ!」とか「うゎ」とか叫びながら、釣り糸を垂れていた。

 

でも、まぁ、なんであんなことをしたいと思ったのか。

それも寒い中、わざわざ出かけて。

 

小学校時代の僕は、理性で動いていなかったということがよくわかる。

ばかだねぇ、自宅で漢字の一つも覚えていればいいのに。

 

…寒空の下、指に息を吹きかけながら庭仕事をしていて、そんなことを思い出した。

なんとなく寂しい思い出。

昔の映画

作中に不適切な表現があるけれど、作品のオリジナリティー/時代性を考えて、そのまま放送する、といった旨の表示が本編の冒頭に流れる。

 

作品によっては、どこに不適切な表現があるのだろうと首をかしげるものもある。

しかし、放送する側の判断では、どこかに埋め込まれているんだろうな。

 

なぜ僕は首をかしげてしまうのだろう?

昭和の映画であれば、その時代を知っている/親近感を持っているからかな?

 

問題があるとされる表現を、実際に見たり聞いたり。

自分がされたり、自分もしたり。

 

「ああ、そんな時代だったよね」と共感してしまうから「なんで」と思ってしまう。

ありふれた日常を懐古する。

 

ある時代には許容されたものが、現在に至ってはデリケートな事柄として扱われる。

僕が書いているブログの中にも、この先「不適切」とされる表現があったりして。

 

昔の映画を見ていて困るのは、俳優の口パク演技。

多分、超が付く不適切発言をしていて、音声を除いているんだろうけど。

 

そうしなければいけない時代だということは、よくわかる。

よくわかるんだけど、気になってしょうがない…。

 

久しぶりの書き込みなのに…

以前から読んでくださっている方、初めて読んでくださった方の footprints を拝見して、嬉しく思っています。

 

ヴィジュアルがなく、文字だけのブログなのに(泣)。

ありがとうございます。

 

今日から暫く雨降りとのことで。

少し肌寒い。

 

うちの猫ときたら、ストーブの前でスヤスヤ(ときどき、薄目を開ける)。

日光の「眠り猫」よろしくお休みで。

 

寝顔は可愛らしいのに。

近づくと、ポーンと飛びのくんだよなぁ、ポーンと。

 

モンプチもチュールも、僕がエサ皿に載せているのに。

「それはそれ。オレは人間を信じない」と言わんばかり。

 

それでも面倒を見てしまう。

ああ、愛は惜しみなく奪う…。