突き抜けて

芦田愛菜は令和の吉永小百合か?

達観の仕方が似ているということらしいのだが。

 

僕個人としては「沢口靖子は平成の吉永小百合か?」の一文を加えたい。

彼女の振舞にも、達観の空気が漂っているように思える。

 

自分の世界を持ち、それを大切にすることは簡単ではないだろう。

そうであるがゆえに、他人を傷つけたり排除したりすることもあるから。

 

独り善がりであったり、日和見的であったりする印象を与えない。

最大公約数が、その魅力を支持する。

 

突き抜ければ、唯一無二のカッコよさが生まれる。

そんな生き方に憧れる。

 

突き抜けている、カッコいいといえばビートルズも。

(今、ラジオでビートルズ特集が流れている。)

 

ソロになってからのレノン&マッカートニーにもいい曲はあるんだけれど。

ビートルズ時代のレノン&マッカートニーには敵わないと思ってる。

 

ビートルズ後期のレノン&マッカートニーは基本クレジットのみで、多くがソロ曲だと聞いている。

 

それでも、この二人が同じグループにいたからこそ生まれた名曲たち。

中学生の頃に聞き始めて、何度も聞いて、そして今聞いても「新曲」。

 

レコーディング技術の日進月歩を考えれば、やはり、楽曲にパワーがあるんだ。

歌詞と曲の周辺にある要素の占める割合は小さいといえる。

 

自分に欠ける才能を持つ相手を目の前にすることで、俄然燃えてくる。

一緒に苦労した年月が長ければ、仲の悪さもカバーしてなお余りある。

 

自分に欠けるものを埋めてくれる存在は大きい。

耳が痛いことを言われても、それで助けられることもある。

 

自分と対峙する存在と、敬意をもって対話する。

時に、相手を意識して競いあう。

 

そこに突き抜けたカッコよさの影が見え隠れする。

全体に調和しながらも、決して埋没することがない。

 

Baby, you can drive my car

Yes, I'm gonna be a star

Baby you can drive my car

Baby, I love you

 

チョコレートパン

パンの間にバタークリーム。

溶かしたチョコレートをかけて、アーモンドクラッシュを散らして。

 

ブランドもメーカーも問わない。

形態も問わない。

 

値段は100円前後で。

トランス脂肪酸たっぷりでも構わない。

 

僕にとっては、少し値の張る「駄菓子」。

店先で見つけちゃうと、もう、ウキウキになる。

 

アーモンドクラッシュの代わりに、あの、ルビー色したジェリーの玉。

あれが挟んであるのもいい。

(だけど、あの玉の載ったパンそのものを最近見かけない。)

 

最も飾らないチョコレートパンは、コッペパンに切り込みを入れて。

クリームを流し込みチョコレート液をかけて、ジェリーの玉を載せたもの。

 

これを見かけると、食べたいという衝動と懐かしさが心中からこみあげてくる。

なんとも言えないなぁ。

 

最後の晩餐に何が食べたいと訊かれたら、きっとチョコレートパンを挙げる。

横長のテーブルの上に、コーラの隣に是非とも置いて欲しい。

 

この先、どこかで余裕があったら、北から南までチョコパン巡りをしてみたい。

製パン大手にはない味と見た目がきっとあるはず。

 

ついでに、即席袋めんツアーもいいかな。

となると、コッヘルとガスバーナーは必携だ。

 

食費はきっと安上がり。

楽しい旅になりそうだ。

小島君

近所に小島君という知人がいる。

とんとご無沙汰しているが。

 

小学生の頃、よく誘われた。

それほど仲が良かったわけではないけれど。

 

釣り友達だった。

僕はそれほど釣りが好きだったわけではないが「ねぇ、行こう」と言われると、つい。

 

自転車に乗って15分。

貯水池が、僕たちの目的地。

 

大したものが釣れるわけでもないのに、出かけていく。

で、不思議なのは、記憶の中の風景は、いつも秋。

 

曇りで、冷たい風吹く秋。

暖かい日の釣りの思い出がない。

 

原始的な釣り道具。

釣り針にミミズをつけて、池の中に放り込む。

 

手がかじかんでいるから、思うように指が動かない。

「あぁ!」とか「うゎ」とか叫びながら、釣り糸を垂れていた。

 

でも、まぁ、なんであんなことをしたいと思ったのか。

それも寒い中、わざわざ出かけて。

 

小学校時代の僕は、理性で動いていなかったということがよくわかる。

ばかだねぇ、自宅で漢字の一つも覚えていればいいのに。

 

…寒空の下、指に息を吹きかけながら庭仕事をしていて、そんなことを思い出した。

なんとなく寂しい思い出。

昔の映画

作中に不適切な表現があるけれど、作品のオリジナリティー/時代性を考えて、そのまま放送する、といった旨の表示が本編の冒頭に流れる。

 

作品によっては、どこに不適切な表現があるのだろうと首をかしげるものもある。

しかし、放送する側の判断では、どこかに埋め込まれているんだろうな。

 

なぜ僕は首をかしげてしまうのだろう?

昭和の映画であれば、その時代を知っている/親近感を持っているからかな?

 

問題があるとされる表現を、実際に見たり聞いたり。

自分がされたり、自分もしたり。

 

「ああ、そんな時代だったよね」と共感してしまうから「なんで」と思ってしまう。

ありふれた日常を懐古する。

 

ある時代には許容されたものが、現在に至ってはデリケートな事柄として扱われる。

僕が書いているブログの中にも、この先「不適切」とされる表現があったりして。

 

昔の映画を見ていて困るのは、俳優の口パク演技。

多分、超が付く不適切発言をしていて、音声を除いているんだろうけど。

 

そうしなければいけない時代だということは、よくわかる。

よくわかるんだけど、気になってしょうがない…。

 

久しぶりの書き込みなのに…

以前から読んでくださっている方、初めて読んでくださった方の footprints を拝見して、嬉しく思っています。

 

ヴィジュアルがなく、文字だけのブログなのに(泣)。

ありがとうございます。

 

今日から暫く雨降りとのことで。

少し肌寒い。

 

うちの猫ときたら、ストーブの前でスヤスヤ(ときどき、薄目を開ける)。

日光の「眠り猫」よろしくお休みで。

 

寝顔は可愛らしいのに。

近づくと、ポーンと飛びのくんだよなぁ、ポーンと。

 

モンプチもチュールも、僕がエサ皿に載せているのに。

「それはそれ。オレは人間を信じない」と言わんばかり。

 

それでも面倒を見てしまう。

ああ、愛は惜しみなく奪う…。

 

金木犀が満開

台風が近づいている。

少しは気温が上がるかな?

 

庭の金木犀が満開。

秋を感じさせるなぁ。

 

まぁ、植物は「きれい、きれい」だけではすまないけれど。

お世話をしなければならない。

 

小さなオレンジ色の花の掃除。

ざっ、ざっと箒で掃く。

 

枯葉が舞って、吹き溜まりができる頃には冬の気配。

ああ、また雪掻きかぁ…。

先が見えない時には

今、出口が見えないトンネルの中にいるようだ。

色々と我慢しなければならない。

「自粛」という名の忍耐。

 

この我慢、いつまで続ければいいのか。

この忍耐から、いつ解放されるのか。

 

苦しみながらも歩みを止められない。

そんな状況は、山登りに似ている。

 

なかなか頂上が見えてこない。

ここで登るのをやめたい。

さっさと下山したい。

 

そんなとき、上を見上げて、顎を突き出して、息も絶え絶えになってはいけない。

そんな時こそ、足元を見て、重い足を一歩一歩踏み出す。

これを続けていれば、必ず山頂に辿り着く。

社会人

英作文の参考書を読んでいたら、「社会人=a member of society」。

ふむ、なんか呑み込めないな。

 

社会人と聞くと「会社に行っていたり、店を経営したりしていて、収入があって…」

そんなことを、なんとなく思う。

 

でも、それ以外の人たちは、社会人ではないのか?

専業主婦や専業主夫は、社会人じゃないの?

 

「君たちはもう、社会人なのだから」と訓辞。

ここに、学生や生徒、児童、幼児は含まれない。

 

社会人とはどんな人たちなのだろう。

仮に「社会人=稼ぎのある人・税を納めている人」とすると、それ以外の人たちは社会の一員じゃないみたい。

彼らは間違いなく、a member of society なのに。

 

この参考書の訳語に問題があるんだろうな。

たとえば、「社会人=組織や団体、他者に貢献できる人」としたらどうだろう。

自分だけでなく、他人のためにも生きることのできる人。

 

さて、英語にするとどうなるのか?

 

寒くなってきたぁ!

周囲の山は真っ白で。

そのうち平地も白くなるんだろう。

寒いのは………苦手だぁ。

 

「まだ結婚できない男」は、再び思わせぶりな結末で。

今回も、やはり結婚できず、時は過ぎていくのだろう。

数年後、「まだまだ結婚できない男」は制作されるだろうか。

 

60代の男を主人公にするドラマは、刑事ものぐらいか。

ゴールデンの時間帯に、中高年の恋愛を「トレンディー」に描くドラマ?

それは可能か?

 

「やすらぎの〇〇」のように、お昼の帯でやるという手もある。

高齢化の流れの中で、ドラマ制作の現場にも変化が現れるかも。

どのチャンネルを見ても、オヂさんとオバさんのロマンス物が…。

 

10年後のドラマ。

どうなってるかな?

 

 

なんでまた!

カレーを食べ始めた。

鼻の奥でジュルジュルと。

「ああ、鼻水かな」と鼻孔に指先を当てる。

 

紅い!

そして、ひたひたと一筋二筋。

おいおい、生まれてこの方、鼻血なんて出したことないのに。

 

鼻腔にティッシュを詰める。

暫くは良さそうなのだが、だめだ、逆流して喉に入ってくる。

席を立って、洗面台に。

 

ぽたっ、ぽたっと、規則的な流れ落ちる鮮血を眺めながら30分。

滴る間隔が長くなってきたところで、再びティッシュを詰める。

奥まで入れて傷口を広げてはいけないから、入り口のあたりで栓をする。

 

体表にできた傷なら、救急絆創膏で何とかなるんだろうけど。

鼻の奥だものな。

手当のしようがない。

 

しかし、なんで鼻血が。

鼻血なんて、漫画やドラマの世界のものだと思っていたけど。

自分の無力さをこんなに感じさせるものだったなんて。

 

ドイツ語を始めたいと思っている人へ

ドイツ語。

僕にとっては、なかなかお友達になれなかった言葉。

こんなに悩まされて…。

 

それでも、最近、ドイツ語学習が楽しくなってきた。

いくつかのポイントに気付き始めてから…。

時間はかかるけれど、押さえてみる価値はある、と思う。

 

1)名詞の性

参考書によっては、語尾の形から性に当たりをつける方法を紹介しているものがある。

これは学ぶ価値、あり。

 

2)形容詞の屈折

(冠詞+)形容詞+名詞のパタンのエクササイズは、どんどんやって!

これに抵抗を感じなくなってきたら、一歩も二歩も進んだ気がしてくる。

 

冠詞類の格変化とか、語順とか、分離するとかしないとか。

ドイツ語学習の「いろは」には、辟易することが多々あるけれど。

それはそれで、なんとか乗り越えて。

 

その先のハードルとも言える、1)と2)。

そこに光が見え始めたら、もっと先に進もうという気持ちが芽生えるはず。

Guten Tag!  Wie geht's?  で終わらないためにも。

キットカット

の大袋。

ミニサイズが14個入った、あれ。

紙の包装になったんだね。

 

だけど、その中のチョコたちはプラスチックで包装されている。

どうせなら、彼らも紙で包めばいいのに。

それはできないのかな。

 

プラスチックといえば、ストロー。

先日ローソンで、機械抽出のアイスコーヒーを買ったらストローがついてこなかった。

「100円のアイスには、ストローがつかないんです」とのこと。

 

僕はストロー派ではないから、あまり気にならない。

環境に優しいとなれば、それは結構なこと。

プラって硬いから、処分するのが大変。

 

処分するのが大変といえば、寿司や刺身の、高級感を意識したプラ容器。

あれも処分が大変。

容器を回収してくれるお店もあるけれど、基本は自宅での処分。

 

これをバイオディグレイダブルなもので代替できたら、それはすごいこと。

天才科学者に是非ともお願いしたい。

でもまぁ、一番いいのは、厄介なゴミになるようなものは買わないことなのだけれど。

KuToo Movement

踵の高い靴でなければいけないなんて。

ペタンコの靴のほうが動きやすいだろうに。

何を見せるかではなく、何ができるかのほうが、職場では大切だと思うけれど。

 

〇〇ハラという言葉をよく聞く。

相手の気持ちを慮れない人たちが、ハラスメントに走るのだろうか。

相手との適切な距離は、いつも測るようにしないと。

 

先輩・後輩、上司・部下に関しては、パワハラ、顔を出しやすいかな。

呼び捨てには、要注意。

支配・被支配の関係構築のために呼び捨てを使う輩がいるけれど。

 

親分格でない人物が親分風を吹かせて呼び捨てするのは、滑稽。

まずは信頼関係なのではないかな?

総じて、〇〇ハラになるかならないかは、その一点に尽きるような気がする。

ぐぅっと寒くなって

寒くなった。

11月なんだから当然なんだろうけど。

ただ10月が暖かかったから、強くそう感じるのかな。

 

先日まで、庭には朝顔が咲いていた。

ぐんぐん蔓を延ばして。

この北国で、あれは不思議な光景だった。

 

ところで、「まだ結婚できない男」。

阿部寛って、いい俳優だよね。

50代独身男子のデフォルメの仕方が秀逸。

 

ただ一つ残念なのは、あの女医さんの存在。

「金持ちと結婚した」の一言で一蹴されたのが残念。

今クールで、一度ぐらい顔を出さないかなぁ。

ボールのやり取りはどうなっちゃったの?

 

本当にご無沙汰、です。

1年以上さぼってしまった。

こんな怠惰な私のブログを読んでくださる方がいることに、感謝と感激と驚嘆を。

ありがとうございます。

 

最近はカメラを手にすることもなく。

アップできるような「映える」絵がないことが、ブログから遠ざかった理由かもしれません。

 

それでは、また、いつか。

Au revoir!