「させていただく」シンドローム
ウェブニュースを読んでいたら「させていただくはなぜ多用されるのか」との記事が。
ある書籍が紹介されていた。
書籍の著者は「敬意のインフレを超え、敬意のナルシシズムが垣間見える」と。
「させていただく」の多用は気を付けないと突っ込みどころとなる。
例えば、「結婚させてください」は相手親の許可を求めての発言。
「離婚の届を提出させていただきました」は、誰の許可が必要だったの?
「離婚の届を提出(いた)しました」で十分だと思うけれど。
自発性を発動すると角が立ちそうなときには「させていただく」は便利な言葉。
周囲の人々が「誰のおかげで~できると思っているんだ」と言う人ばかりなら、「させていただく」を多用せざるを得ないだろうが。
ナルシシズムに関してはどうだろう?
周囲に気を配る自分を演出し、そんな自分に酔ってしまうのかな?
「させていただく」を多用しなければならない現代。
日本人の individualism はどこにある。