といった、名称だったかどうか。
とにかく、学習者にとっては無意味とも思えるような和文⇔英文etc.を、執拗に繰り返して覚える学習法。
私が院にいた頃、この学習法は、かなり否定的に捉えられていた。
私はそこに行く⇔I go there./ J'y vais./ Ci vado./ Ich gehe dort.
こんな感じで始まっていく。
そして、主語を変えて、She goes there./ Elle y va./ Ci va./ Sie geht dort./
それが終わると、新たな文を提示して、同様に繰り返す。
何が無意味なのか。
この「私」って、誰よ?
「そこに行く」って、どこに行くの?
こんなことやってて、私の人生変わるの?
よくわからない→モチベーションが上がらない→面白くない→成果がでない。
自分の経験に照らしても、これをやる時間て恐怖だったよな。
先生に指名されて、立たされて、うまくできないときのあのイヤ〜な感じ。
覚えてこない自分が悪いとは知りながら、やはりイヤ〜な感じ。
でもでもでも、今、思えばこれって大切な練習。
後になって利いてくる練習。
意味なんて、入門期には関係ないのかも。
もちろん、意味のある練習ならそれに越したことはないけれど。
反射的に脳が動いて口が動くこと。
その瞬発力が大切。
九九の練習。
にしがはち。さざんがく。
なんて必死に覚えているときに、いつ使うか、どう使うかなんて考えていない。
無意味にも近い形で覚えてる。
きちんと覚えれば、算数・数学の試験で有利。
その程度で終わるかと思いきや、社会に出て、電卓使わずにそこそこの計算ができるようになる。
後になって利いてくる。
行動の意味や目的を無視して、ひたすら練習する時期って、あって然るべきだと思う。