ぶらりローマ(5) クオ・ヴァディス篇

今日は4月2日(月)。
朝、7:30に集合して、団体様でバチカンへ。


バスに乗って20分、現地到着。
バスを降りてぞろぞろ。
おお、聞きしに勝るすごい人の数!


列を作り、入り口までノロノロと。
途中、面白い彫刻物が。

手前の人物がミケランジェロ
向こう側がラファエロ


入り口の検査を通過して、2階へ。
少し歩くと、だだっ広いテラスへ。
ああ、いい天気。
おお、向こうに見えるは、サン・ピエトロ大聖堂のドーム。

再び館内に入り、ぶらぶら。
ラファエロの間に向かう。
(もちろん、途中、いろいろ見たけれど。)


ラファエロの間の近くの通路。
各ギャラリーを通り抜けているときに見つけた!
Quo vadis, Domine? (主よ、どこに行かれるのですか)

以下、ウィキペディアより引用。

ローマ帝国におけるキリスト教徒への迫害は日を追うごとに激しくなり、虐殺を恐れた者たちが国外へ脱出する事も当たり前になっていた。
ペトロは最後までローマにとどまるつもりであったが、周囲の人々の強い要請により、渋々ながらローマを離れるのに同意した。
夜中に出発してアッピア街道を歩いていたペトロは、夜明けの光の中に、こちらに来るイエス・キリストの姿を見る。ペトロは驚き、ひざまずき、尋ねた。
Quo vadis, Domine? (主よ、どこに行かれるのですか)
キリストは言う
そなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って今一度十字架にかかるであろう。
ペトロはしばらく気を失っていたが、起き上がると迷うことなく元来た道を引き返した。
そしてローマで捕らえられ、十字架にかけられて殉教したのである。
ペトロは死んだが、それはキリスト教の発展の契機となり、彼はカトリック教会において初代のローマ法王とされている。
(この章の記述については、阿部知二他編 『西洋故事物語 上』 河出文庫 1983年 によった)

感動の1枚。


ラファエロの間、第3室「署名の間」。
アテネの学堂


感動だね。


サン・ピエトロ広場から大聖堂を望む。
オベリスクが置かれている場所で、ペトロは逆十字で磔(はりつけ)にされたという。


現地に残りたいという人を残し、集合地点に戻ると、13:00を回っていた。
解散後、昼食ポイントを探してぶらぶら。


テルミニ駅付近でトラットリアを発見。
空いていたけれど、感じよさそう。


まずは、ワイン。
白のdella casaをもらう。


ああ、そうだ、仔牛をまだ食べていなかったな。
エスカロッパ トマトソース。



dolceは、アップル・タルト。

うん、いいんじゃない。
くどくなくて、さっぱりとしていて。


で、お約束のエスプレッソ。


€22のお会計。
問題なし。


...食後の散歩。何となく町の中心へ。


途中、ジェラートを。
€2.5。


デプレティス通りを進み...。
この十字路って、「4つの噴水」?

右下隅に小さく、オオカミから乳をもらう例の双子の彫像が。


紫色の藤の花。
いい香り。


で、またまた、トレビ泉。
その付近にあったたこ焼き屋。


...ああ、今日も歩いた。
19:00。
夕食の時間だね。


「ここのラザーニャ、おいしいよ」と、勧められた、EST! EST! EST!
この店もテルミニ駅近く。

奥では、窯でピザを焼いている。


まずはビール。


このpaneはあの窯で焼いているのかな?
底が黒い。


こちらに来て、まだカルボナーラを食べてなかった。

パンチェッタはあまり入ってなかった。
でも、ペコリーノ・チーズはたっぷり。
う〜ん↑、buono。


セコンドは、やはりアバッキオで。

う〜ん↑、おいしい。
これ、髄の中までおいしい。


ドルチェはティラミスで。


う〜ん↓、これはいただけないなぁ、
クリームがね、硬いんだ。


エスプレッソをつけて、€28。
うん、いいんじゃない。


...さぁ、ホテルに帰って休息しよう。